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  1. 変異型ヤコブ病について(0)
  2. 変異型ヤコブ病の心配(0)
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中野様、介護士様、みっちさん、MKさんへ

 投稿者:ぶいママ  投稿日:2017年11月 6日(月)20時11分59秒
  お話ありがとうございました。また、辛い思い出を思い出させてしまい、本当に申し訳ありませんでした。

父の最期に対する覚悟は段々とできてきました。

しかしながら、ここにきて新たな問題です。
この問題に対しては単なる愚痴になってしまう事ご了承ください。

父の入院している病院についてです。

今日、主治医と看護師長より母に父が褥瘡になってしまったと謝罪があったようです。お尻に5センチです。写真を見せて貰った様ですが、穴が開いていたようです。

さらに、38度の高熱が8日間続いていたようですが、何にも説明がありませんでした。

主治医は褥瘡から菌が入り込み、敗血症になる可能性があるとの説明もあったようです。

前々から患者への対応に?な病院でしたが、ここにきて怒り爆発です!

お父さん、熱が出て苦しいだろうに、床ずれで痛いだろうに…本当に憤りがおさまりません。
この怒りをどのように病院へ伝えればいいかわかりません。
患者の家族は、褥瘡ができないように、患者が少しでも辛くないように病院へ預けたのに、裏切られた気分めす。
 
 

ぷいママさんへ

 投稿者:みっち  投稿日:2017年11月 5日(日)15時17分46秒
   私の父は7月初旬に発症し、2週間ほどで発語が減り8月には全くの別人に変り果て、話す事は全くできなくなりその時に延命について決断を問われ、以降点滴のみで約2か月後に亡くなりました。
発語が出来ず、自発的に動くことも徐々に減り、肺炎を長く併発していましたので痰吸引は頻回でした。微熱から高熱になり坐薬使用すると尿の出が悪くなりクーリング対応でしたが、亡くなる1日前は、顔色が(土色に感じました)悪く動く事や普段なら少しは痰吸引の際に痛そうに抵抗するのですが、全くなく、急な血圧低下もあると言われましたが坐薬使用されました。
その夜から急変しだしたようで翌朝、病院から連絡があった時には昼まで持たないとの事(もっと早くに連絡が欲しかったです)血圧は測定不可の状態で血中酸素は38でした。
急変はつきものと言われてましたが、病院到着し1時間もしない内に息を引き取りました。
残された時間は中野さんが仰るように人それぞれ、分かりませんが、
家族が傍に居てさしあげる事が何ものにも変えられないと思います。
幾ら尽くしても後悔はついて回りますが、残された家族は本当に辛いですが、最期まで旅立って行く時まで傍に居れて幸せでした。
今、一瞬を大切になさってください。あとお身体も大切に。
 

ぷいママさんへ

 投稿者:MK  投稿日:2017年11月 3日(金)23時47分18秒
  最後について…
お答えしてよいものなのか、どうなのか…と悩みましたが、ちょうど先日、私の母の一周忌を迎え、まだ鮮明に消える事のない母との2ヶ月半
少しでも、これから、お父様の為に出来る事が増える事を願い、お返事させていただきます。

7月から、お父様、頑張っておられますね。
私の母は、入院して1日1日1つ1つの事が出来なくなってゆき、1ヶ月も経過しないうちに、話も出来ず、身体もまったく動かせず、意志疎通もなにも出来ない状態となりました。
それ以降、食事も、もちろん出来ません。
このあたりから、微熱は最後までありました。
私の母は2ヶ月半という、ものすごいスピードでの最後となりましたが、亡くなる1週間前までは、微熱があるくらいで、血圧も呼吸も安定しており、鼻酸素も亡くなる3週間前までは、せずに普通に自分で呼吸していました。食事もしないせいか、便もほとんど出ませんでした。尿の回数も減りました。が、亡くなる3日前に全く出なかった便が1日に何度も…
それが2日間続きました。
その時、先生からの呼び出しがあり、最後が近づいている。という事を伝えられました。
その時、病室の個室があき、「個室に移られますか?」と言われたので、それを希望し移動。
その次の昼、私が面会に行った時まで、鼻酸素だったのに、夕方、別の家族が行った時には酸素マスクへとかわっており、それでも、血圧、呼吸の状態には問題なく、家族もそのまま帰宅。するとその1時間後、私のもとに病院から電話が…
一気に呼吸が弱まり、血圧もすでに計れない状態まで…

電話がきた時、看護婦さんは「何分で病院にこられますか?」と。
その時、本当に事態は深刻なのだ。と痛感しました。
急いで車をはしらせ病院へ…
私より先に、病院の近くに住んでいた家族、親族は、もう到着していました。
私が病院に到着した時、もう母は首の脈が少しふれるほどでした。そして、まもなく…
親族全員のいるなか天国へと行きました。

その時思ったのは、実は私達は、入院していた病院の対応の悪さ(差別、この病気の知識のなさの対応)に頭にきていました。(実際、看護婦さんに怒鳴り、翌日に婦長さんが涙を流しながら謝罪にきたほどでした。)が、この時、母の状態を即事に判断し、電話をくれ、最後は、涙を流しながら、母をきれいにしてくれた、私と同じくらいの年齢の看護婦さんに感動し、感謝しました。

先日のハロウィン…
街は、お祭りのように仮装したり、パレードして楽しそうにしてましたね…
正直、私は、その状況をみてるのがつらかったです。
その時、「私はハロウィンのたびに、毎年こんなに切ない気持ちになるのかな…」と思いました。
周りを羨ましく思い、そして、楽しそうにしてる事を楽しめない自分がいて、ものすごい嫌な人になってるのか…と。

そして、またここに来てしまいました。
そして、誰かの、お役にたてるのであれば…
同じ気持ちをわかちあえる人がいるのであれば…と。

お答えしてよかったのでしょうか…

けど、今ある時間を少しでも何か1つでも、ご家族のために出来る事が増えるようにも投稿させてもらいました。長くもなりました。ゴメンなさい。
 

看取りについて

 投稿者:介護士  投稿日:2017年11月 3日(金)00時52分19秒
  家族では無いのですがお一人だけヤコブ病の患者様を看取りまでみたことがあります。
女性の方でしたが、施設に来たときには無言無動手前でしたが、表情はまだありました。
ご家族がとても温かい方々で私共の施設では医療行為は出来ないのを承知しての入所でした。
食事が出来なくなり、それでも毎日ご家族ができる限りの流動食をあたえてくださいました。
段々に食べれなくなり、熱などもありましたが、最後の三日間ほど尿がでなくなり、最後は娘様が看取られました。いつどうなってもおかしくない状態が2週間ほどありましたが、偶然虫の知らせなのか、無くなる日に日中娘様がいらっしゃいました。
とても温かい御家族だったので今でも覚えています。
苦しまずに穏やかな最期でした。
60代と早い人生でしたが、この病気と笑顔と優しさで共に御家族が過ごされていました。
 

ぷいママさんへ

 投稿者:相談員 中野  投稿日:2017年10月31日(火)16時46分44秒
  相談員の中野です。

お父様の闘病の日々お気持ちとても分かります。

私は主人がこの病気でした。
本当にあっという間に意思の疎通が出来なくなって世の中にこの病気があると言う事も後から分かりました。
その時は看病に必死でしたが心残りもあり今だに思い出しては出来なかった事を悔やんだりしています。

私は今まで色々な方とお話してきましたが皆さん病気の進行もそれぞれでした。何年も長く同じ状態の方もいらっしゃいました。
私の場合は熱が下がらなくなり全体が低下してきていましたが、夜中に突然呼び出されて、、でした。

もう少し頑張ってくれるかなと思っていました。

ですので、いつとか、もう、とかが分からない病気の様な気がします。
本当に辛いですよね。

お父様も頑張っていると思いますので日々やれる事をしてあげて下さい。
いつでも、何かあればこの掲示板でお話して下さいね。

同じ気持ちを分かる方達の掲示板です。
 

第2回相談会

 投稿者:相談員 黒田  投稿日:2017年10月31日(火)16時02分27秒
  相談員・事務局の黒田です。
5月に開催させていただきました「サポートネットワーク相談会」の第2回の開催を提案させていただきます。
来年1月20日(土)を予定しておりますが、開催場所を大阪、名古屋、東京のいずれかと考えております。
次回以降も含め、ご希望、ご意見をいただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
 

お久しぶりです

 投稿者:ぷいママ  投稿日:2017年10月30日(月)23時08分29秒
  皆さま、季節が本格的に秋から冬へと変わろうとしていますね。みっちさんのお父様のご冥福を心より申し上げます。
私の父は、7月20日に無動無言状態になったまま、まだ安定しております。今の状態になるまで3週間と、本当に階段を転げ落ちるかのようでしたが、まだ頑張ってくれています。

私は、赤ちゃんの予防接種の関係で10月にようやく東京の家へ帰ってきました。
毎日母と電話をして、父の状況を聞きます。

父は、最近呼吸が荒くなったかと思えば、弱くなってしまったようで、首の力もほとんどなく、よだれがダラダラと流れてしまう状態になってしまったようです。

余命宣告通りだと、年明けまで頑張ってくれるか…なのですが…。

失礼な質問をするのは重々承知ですが、最期を看取られた方々、最期はどのような経過でしたでしょうか。
もうすぐ、訪れる別れに少しでも予想をたてておきたいです。
そして、今の父の状態だとどの段階まできているのでしょうか。
目はたまに開けますが、もう寝ている時間の方が長くなったようです。

皆様に悲しい思い出を思い出させてしまう質問で、本当に申し訳ありません。
 

まーすけさん、みっちさん

 投稿者:さくら  投稿日:2017年10月16日(月)19時50分11秒
  お返事ありがとうございます。
在宅介護は心配事は尽きませんが、体力的には苦にはなりません。ひどい認知症の親を介護している方に比べたら、眠ってばかりいる母は私を困らせるようなことはありませんから… 病気が発症した時期に認知症の症状が出て、ずっと母の行動に付き添っていた頃が懐かしいです。

まーすけさんはお父さんを、みっちさんはお母さんをこれから支えて大事にしてあげてくださいね。私は母の病気にショックを受け、落ち込んでいた父ともっと一緒にいて寄り添ってあげればよかったとすごく後悔しています。会えるときに会って、お出かけとかできれば一緒にしてくださいね。

 

さくらさんへ

 投稿者:まーすけ  投稿日:2017年10月15日(日)13時06分28秒
  私が言った言葉で、さくらさんが元気になってくれたなら、私もとても嬉しいです。さくらさんや皆さんに色んなことを話すことで、実は自分に言い聞かせているところもあるんです。
在宅介護、頑張っている様子で。私は、経験していないので、「大変ですね」と容易く言って良いものか?躊躇してしまいます。入院させているだけでも、家族の精神的苦痛と疲労はあるのにそれに肉体的疲労が加わると思うと…
私は、意外にも普段の生活に戻れています。普通に起きて、仕事へ行き、家事をし、休日は本を読んだり…。母の遺影を見るたびに、「本当に死んじゃったの?」と思うくらい、未だに信じられないくらい、日々、なぜか?母を身近に感じています。母がいないことは、悲しいけど、あまり寂しさは感じません。母の戒名に「風のようになって」という意味があり、本当にそんな感じです笑
母がこんなことになってしまったことは、決して良くはなかったけど、色々と考えるきっかけをもらえたと思っています。今、気付けて良かったと思うこともあります。母には、本当に最期まで感謝というか、母親は偉大だと痛感しています。
今、さくらさんが経験していることは、とても辛いけど、きっと意味があることだと信じて、頑張ってくださいね。
さくらさんのお母様は、私の母と違い、ご自宅でさくらさんに大切にされて、幸せだと思います。私にはできなかった決断です。
 

さくらさん

 投稿者:みっち  投稿日:2017年10月15日(日)11時24分52秒
  父が亡くなり2週間が過ぎようとしてます。何処か遠くに旅行に行って又、帰って来るような気がして・・。夜目が覚めると父はもう居ないのだと思うと寂しくなります。
本当に父との距離が近くなったのが奇しくも病気だったのが残念です。
まだまだ、癒される事程遠く日に日に寂しさが増してます。

さくらさんが仰るよう、私も父が全く話せなくなった時から父の精神世界はどんな感じなのかと良く思いました。本を読んだりもしました。
反応がなくても、手の温もり見えなくてもボヤけた輪郭や声で薄々分かっているようでした。
私も、さくらさんのように在宅で看たかったです。また父も望んでいました。
在宅看護は介護者も大変かと思いますが、一緒に居られると言う安心感や喜びもありますよね。羨ましいです。
沢山お話をしてさしあげて下さい。何より肌の温もりは安心されると思います。
残された時間を思うと苦しいですが、沢山寄り添ってくださいね。
さくらさんもお身体大切になさって下さい。
 

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