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  1. 変異型ヤコブ病について(3)
  2. 変異型ヤコブ病の心配(1)
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れー様へ

 投稿者:ぷいママ  投稿日:2020年 8月 7日(金)14時23分25秒
  こんにちは、そしてお久しぶりです。
皆様の投稿はいつも拝見しております、中々投稿のタイミングが上手くいかず現在となってしまいました。
れー様へ、おじいさまがヤコブ病との事心中お察しいたします…。
私は2018年1月に実の父をヤコブ病で失いました。
父の場合、入院してから3週間で不動無言状態になってしまいました。
本当にあっという間に症状が進みます。
家族も心がついていけませんでした。
ただ、以前相談会に出席させていただいた時、かなり進行が遅い方もいらっしゃいましたので、なんとも言えません。

今はれー様含めご家族の心身の健康を保って、支えあってください。コロナの関係で入院の面会も制限されていて、おばあさまも現実が受け止められない状況だと思います。
今は帰省も難しいですが、どうか寄り添ってあげてください。
 
 

れー様

 投稿者:経験者  投稿日:2020年 8月 7日(金)13時15分22秒
  私は60後半の主人をヤコブ病で失いました。物忘れが始まってからは坂道を転げ落ちるようなスピードで症状が進行しました。身動きできなくなるまで2月ほどでした。脅かしてすみませんが実際、経験しました。人によって違うと思います。後悔の無いようにしてくださいね。  

(無題)

 投稿者:れー  投稿日:2020年 8月 5日(水)22時15分3秒
  ヤコブ病について調べていたところこちらのサイトを発見しました。
先日、80代の祖父がヤコブ病と診断されたと父を介して連絡をもらったものです。

[発見までの経緯など]
6月末に別件で入院中に頭痛を訴えましたが
病院の先生に風邪と言われ風邪薬で経過を見ていたそうです。

7月下旬の退院後の検査で脳の血管の詰まりが多数見つかり
詳しく検査をしたところ、ヤコブ病と診断されたようです。

そのまま大学病院に現在入院していますが
心臓の病気の薬などの影響で
検査に必要な髄液を取ることが出来ず
髄液を取る手術ができるようになっても
出血が止まらないなどの理由で死ぬ可能性があると言われているようです。


[状況など]
祖父母は長崎に2人で住んでおり
私は東京に、父は愛知に住んでいます。

祖母も持病があることから
家の介護は難しいと思うからと
大学病院の後に入院ができる病院を
探してもらっていはいるようです。

また、明確な余命などは言われていないようですが
認知症の症状の進行はかなりはやく
祖母や私のことなどは覚えていますが
今日、面会に祖母が来たことなどは
夜の電話の時点で覚えていなかったようです。

祖母もなにもかもわからないなかで
感染はするのだろうかと色々不安になり
1日に何度も電話をしてきます。
※病気に関して病院側の説明が不十分なのか
 祖母の理解が追い付いていないのかは判断が出来ません


[お聞きしたいこと]
みなさんのご家族がヤコブ病と診断されてから
どのような流れで記憶を失っていったのか
また、どのような苦労があったのか、など
お聞きできればと思っています。

祖母の様子を考えるとサポートのために
すぐにでも長崎に行くべきだとは思うのですが
コロナの影響もあり、そういうわけにもいかないので…

しておくべきことや覚悟しておくべきことなど
ご教授いただけますと幸いです。
 

さくらさんへ

 投稿者:まーすけ  投稿日:2020年 7月18日(土)09時44分46秒
  お返事ありがとうございます。とても嬉しいです。
新しいお仕事を始めたとの報告、よかったです。
さくらさんは、ご自分も辛い状況にも関わらず、周りの皆さんを励ましています。
そんなさくらさんのことをいつも強いと思いながらも、大丈夫かなっと思っていました。
愛すべき人を亡くした後、人は3つの時を過ごすらしいです。
抵抗の時→痛みの時→希望の時。
現実を受け入れられない時を過ごし、悲しみに打ちひしがれ、最後は、自分の人生を
歩き出す。ある意味、本当の意味での親からの自立だと私は思っています。
愛する子供が、早く希望の時になり、自分の人生を歩み、楽しみ、生きることを
親は願っているに違いありません。
私達が、それぞれの人生を楽しむことが、今、私たちにできる親孝行だと思います。
さくらさん、一緒に長生きして、人生を楽しみましょう。
それが、両親の最期の望みだと思っています。叶えてあげましょう。

父の件は、医療裁判というものは、本当に面倒で(笑)
一般人の感覚では、理解しがたい内容のもので、お金と時間がかかります。
そして、結局はお金なんですよね・・・命は、取り返しがつかないものなので
現実的に、お金に換算するしかないんです。高齢でがんを患っていた父は
若くて元気な人よりも命の値段は安くなるという現実があり。
人の人生を事務的に処理されてしまうことがとても悲しいです。
やりきれないです。こんな経験したくはなかったです。

いつか、さくらさんとお会い出来たらいいと思っています。
境遇だけでなく、考え方も似ていると思っているので(笑)
新しい仕事、頑張ってください。応援しています。
 

まーすけさん、皆さま

 投稿者:さくら  投稿日:2020年 7月16日(木)23時14分27秒
  まーすけさん、お久しぶりです。
まーすけさんのお名前を見て懐かしく、とても嬉しかったです。
しかも私の事を書いてくださってて、二重に嬉しいです。
あれから忙しくされていたんですね、その後いかがですか。

立て続けに両親を亡くすというのは本当に悪夢ですよね、そしてその悪夢からなかなか抜け出せません。
母がこの病気になったことも、父が事故で亡くなったことも、未だに受け入れ難く苦しいです。
まーすけさんの気持ちと同じです!

私も忙しくしてどうにか気を紛らしています。
新しい仕事を始めました。
まーすけさん、お互い頑張って両親の分まで長生きしましょう。長生きして、人生を楽しみましょうね。
それがこの病気へのリベンジのような気がします。


皆さま、
母が亡くなって2年が経ちますが、掲示板は時々見ています。
今、このコロナ禍で大切な人と会えない方々の事を思うと心が痛みます。
ただでさえ不安で仕方ないのに、面会さえもできないなんて。
悲しみや怒りをどこにぶつけたらいいのか、わからないですよね。
私はこの掲示板にずいぶん救われました。
この病気の唯一の情報交換、交流の場だと思います。
信頼できる相談員の方々の存在も心強く、本当にありがたいです。
投稿される方はそれほど多くはありませんが、思っている以上に沢山の人が訪れていると思います。
思いは皆さん同じです。
掲示板を通して、辛い気持ちをため込まずみんなで思いを分かち合いましょうね。



 

闘病中の皆さんへ

 投稿者:まーすけ  投稿日:2020年 7月15日(水)19時07分27秒
  私は、ヤコブ病で母を亡くして、もうすぐ3年です。
ちょうど1年前、病院のお風呂で見守りがない状態で入浴中に父が溺死しました。
父を亡くしたショックと病院との裁判の準備などで、幸いにも母のことを悲しむ
余裕すらなかった気がします。そして、この掲示板も本当に久しぶりです。
まだ、旧さくらさんの投稿があって、ちょっと嬉しくなり、私はさくらさんを
勝手に同士だと思っているので(笑)

闘病中の皆さんの辛い気持ちを読むと、私も当時のことを思い出します。
そして、今は、コロナで会えないという辛さも加わり。
残された時間がない者にとってどんなに辛いことだろうと。

私が一番きつかったのは、坂道を転がるように日々病状が悪化して、
「明日、私のことが分からなくなるかも?」という恐怖に苛まれていた時です。
辛くて、理解できなくて、気が狂いそうでした。

万葉時代の詩人は、「かなしい」という字に色々な漢字をあてたそうです。
悲し、哀し、美し、そして愛し。愛することは、悲しいことだと。
愛しているからこそ、悲しいのだと。
皆さんが、今辛く悲しいのは、なにより、大切な家族を愛しているからこそ。
愛していなければ、悲しくなんてないはずです。

私が両親を亡くした後、友人と話している時に友人に言われました。
「あなたは、ご両親に愛されていたのね。幸せね」って。

私は、両親を愛していたから悲しみ、両親が私を愛してくれていかたから
こそ悲しいのだと思うと、少し楽になった気がしたので、今、辛い日々を
送られている皆さんの中で、1人でも私のように気持ちが楽になれれば
いいと思って、久々に書き込みました。

でも、相変わらず、親との思い出を話すと絶対泣いてしまいます。
 

(無題)

 投稿者:ラルガル  投稿日:2020年 7月 7日(火)21時03分45秒
  この投稿していいのか本当に迷いましたというか今も迷っています。
私は首都圏に住んでいますので他の地方の現状が分かりませんので。
少し前までは面会は私も4月5日までは出来て毎日会いに行ってました。それが6日から突然駄目になり、それから面会禁止になりました。転院先ももつと厳しく一切触れる事すら出来ません。哀しいし寂しいし辛いしで申し訳ないです。本当に辛いだけです。首都圏ではもう面会可能になる事は無理だと思っています。
私も思いっきり彼に付き添いたかったしせめて声だけでもかけてあげたい。でも叶いません。本当に辛いですし彼に申し訳ないです。
本当にこの病気も恨むけどコロナももっと恨みます。
 

フレア様

 投稿者:相談員 村山  投稿日:2020年 7月 6日(月)14時50分5秒
  最愛の方を亡くしお辛い中、とても貴重なお話をありがとうございました。

ご家族皆さんで全力で、愛情いっぱいお祖母様をケアされたこと、とてもよく伝わりました。

我が家の場合は母の病名がわかった時点で家での介護は無理でしたので、正直できなかったことを数えて申し訳ない気持ちがよみがえりましたが・・。
でも、自分のときより診断が速くなったために、「少しでも患者さんとの思い出を作りたい!」という皆さんのお気持ちが叶う部分もあることに救われた気持ちの方が大きいです。

本当に仰るとおりヤコブ病が憎いですよね。
私も早く特効薬ができて、治る病気になることを心から望んでおります。

これからもご闘病中の患者様のためにも、、ご体験からのアドバイスなどよろしくお願いいたします。
 

(無題)

 投稿者:フレア  投稿日:2020年 7月 2日(木)16時47分23秒
  以前、投稿させていただきました
フレアです。祖母が発症してからの事を
誰かのお役に立てればと思い 長くなると思いますが
投稿させていただきます。
分かりにくかったら、すみません。
まず初めに、祖母と両親は、昔から同居
2018年に姉とわたしが結婚し、家を出ています。

2019年9月末、両親と祖母の3人で
県外へ旅行へ行ってる間  なかなか御手洗から
出てこない祖母を心配した母が見に行くと
「出口が分からない。」と色々なドアを開けていて
母は、初めての場所だからかな?と特に気にとめていませんでした。
家に帰ってきてから 少しずつ変化がありました。
今思えばこの頃から 少しづつ 祖母の脳に異変が起きていた様に感じます。
障子の閉め方が分からない。
トイレの電気が切れているのに切れていないと
何度も電気のスイッチを当たったり…いつもなら
すんなりできている事が出来なくなっていました。
頭痛が酷い。と寝ている事が増えました。
祖母自ら、病院へ行きたい。と言うので  脳神経外科、内科へ
連れていきましたが 悪い所は、無い。と言われ
MRIもCTも年相応の脳だと言われ 頭痛薬を処方され
毎日飲みながら 頭痛と戦っていました。
私達も 色んなサイトで 病名が無いのか 対処法は?と
検索しましたが 何も分からず、一向に体調が治らないので
大きな病院へ行きたい。と言うので
祖母のかかりつけ医から
紹介状を貰い 2019年10月の初めに 大きな病院で
神経内科を受診しました。 MRI、CT 撮りましたが
その時点では、何も分からず 認知症検査も正常で
それから毎週病院へ行きました。
一回目の診察では、自分で杖をついて歩いて行きました。
食事も 食べたくない。と言ってましたが
食べれそうな物を準備し、食べておりました。
1人でベットで寝ていましたが ベットから落ちる事があり
夜中にトイレに行き 電気が気になって寝れない。
天井に虫がいる。と不安なようだったので
母のベットを持ってきて 一緒に寝ていました。
その次の週の病院の日には、祖母は、
1人で歩くことさえ 困難になりました。
1週間前は、字もかけていたのに 鉛筆を持つことが出来なくなり
脇をかかえ、手を繋ぎ、杖をついてやっと歩けていました。
その頃から 無意識に左手を使わなくなり 靴下を履く、
食事をとる、お風呂に入る、全ての行動を
1人で行うことも出来なくなりました。
毎日 母か、私とお風呂に一緒に入っていました。
その週の病院でも 何も分からず 次週のMRIの予約を取り
帰宅しました。 その次の日、家で 3回嘔吐し
ベットから落下し、病院の救急へ連れていきました。
救急の為、特に何もして貰えなかったのですが
MRIの予約を早く変更して貰えました。
その頃から 使わない左手に不随運動が始まっていました。
「左手どしたんー笑」って笑ってましたが
まさかこれが ヤコブの特徴だとは、知りませんでした。
救急に連れていったその日から 母1人では、全ての介護を
1人でするなんて無理だ。と感じた私達は、
結婚して 家を出ていた私と姉の2人も
実家に戻り、母と姉と私と祖母の兄弟にも協力してもらって
自宅で介護を始めました。 私、姉、母は、仕事もあったので
家族だけでは、限界があった為です。
それから 歩けない祖母を
トイレに連れていくことも困難だったので
祖母は、「自分でトイレ行けんくなったら終わりやな~笑」
って言ってたので これ新しいパンツよー!って
申し訳ない。と思いながら誤魔化し介護用オムツを購入し、
赤ちゃん用のおしりふきを温める機械を買い全力で
介護をしました。
お風呂も1人で支えることが難しかったので
それからは、3人がかりで自宅のお風呂にはいりました。
食事も喉に詰まらせる事が1番怖かったので
すり潰したり、柔く煮たご飯にしたり、フルーツにしたり
試行錯誤でした。その間、不随運動が左手だけでは、なく
全身におきていました。
絶対何かおかしい!と感じていた私達は、
次の病院の時 検査して!と強めに言おうね!と
話していましたが 次の病院の日 祖母は、歩く事も出来ず
父に抱えられ 車に乗り 車椅子で病院に行きました。
その日 先生が 不随運動に気づき MRIを、急遽撮り
待ってる間に嘔吐してしまって 車椅子に座っているのも
辛そうだったので 看護師さんに許可を取り
カーテンで仕切られている長椅子に
横にならせてもらいました。(点滴用の長椅子)
その日、母だけ 診察室に呼ばれ 難病のヤコブ病だと思います。
との診断がくだりました。その日に 髄液検査をして
MRIを見て、不随運動、での判断でした。
その日は、自宅に連れて帰り、母に ヤコブ病だ。と聞かされ
家族全員で 号泣しました。ネットで調べまくり
どうにか治らない物か。と。何を調べても
半年で無言無動  など書いてるのを見て だんだんと
現実を受け入れました。「美丘」と言う ドラマも見て
勉強しました。それからも 毎日実家で
祖母との時間を過ごしました。
この日から、沢山祖母との写真、動画を撮りました。
次の週に 脳波の検査をしました。髄液検査の結果も
次の週に聞きました。脳波の検査の時は、
家族全員での受診を言われたので 全員で行きましたが
今回の血液検査次第では、自宅に帰すことは、出来ません。
と言われました。(食事が取れなくなっていた為)
覚悟していましたが 最後に家族全員で出かけたい。と
先生に頼み 何かあったらすぐ病院に来る事を約束して
その日も自宅に一緒に帰ることが出来ました。
その日からの1週間は、今までに感じたことの無い
かけがえのない 大事な時間でした。
ご飯も口に運んであげて オムツを変えて ベットを朝になれば
リビングに運び みんなと同じ時間を過ごしました。
夜になると調子が良くないので 昼間にお風呂に入っていましたが
この頃から 3人がかりでも、
自宅のお風呂に入れることが難しくなりました。
(溺れる危険性、滑る危険性を考慮してです。)
椅子に座ってシャンプーしてあげたり 体を拭きました。
祖母の前で泣きたくなる日もありましたが
必死に笑って我慢していましたが 祖母は、感じていたのかな?
と今になって思う時があります。
最後に家族全員で出かけた日も 沢山写真を撮りました。
父に抱えられ車に乗り 父に抱えられ車椅子に乗り、
皆で祖母の好きな花畑へ行きました。冬なのでバラでした。
その頃には、表情も無くなっていました。喋ることも出来ず
寝てる時間が確実に増えていました。
でも、祖母と一緒に、出かけられた事とてもいい思い出です。
食事は、短く切ったうどんや、とろみをつけたスープ
お水もとろみをつけてスプーンであげていました。
(誤嚥する危険性を自ら考えた上。)
その次の日、入院しました。
感染する可能性を考え、個室での入院でした。
その日の血液検査で 脱水症状、栄養不足がわかり
即 点滴と経管栄養が始まりました。
祖母を、置いて帰ることへの罪悪感から 涙が止まらず
死ぬ。ということを身近に感じた気がしました。
あわよくば帰れると思っていたからです。
その日から 毎日お見舞いに行きました。
話しかけて、綺麗好きな祖母なので タオルを変え、
タオルケットを変え、手を握り、ボディークリームを塗り
シャンプーをしてあげて… ぬいぐるみを病室に置きました。
入院したのは、2019年11月の頭です。
初診から、1ヶ月で 何も出来なくなり やっと診断がくだりました。
その日のうちに 保健所や役所に電話したり
書類提出したり 入院準備をして バタバタしました。
入院して間もなく、先生から 延命治療の話や
転院の話があり 落ち込む日もありました。
12月が誕生日の祖母は、誕生日迎えれないかも。と言っていましたが
誕生日を迎え、ケーキを買って 皆で写真を撮り
病室を飾り付けしました。
2019年12月半ばに
転院が決まり 転院先は 自宅から近い終末期の病院でした。
汚れたら捨てていいから!と無理に持って行っていた
ぬいぐるみやタオルケットをそのまま
使ってくれていた病院へ感謝しかありません。
毎日祖母に、会いに行きましたが
表情も変わらず 何も喋らず きっと 傍から見ると
何しに来てるの?って思われていたと思いますが、
顔を見ないと 不安で 押しつぶされそうでした。
それからは、以前投稿させていただいた様に
口腔ケア、シャンプーをしてあげていました。
2020年1月の半ば、
会いに行くと、酸素の数値がさがった為
酸素マスクがついていました。その日も変わらず
口腔ケア、シャンプーをして 眉毛をカットし、
またねー!と何も変わらず
いつもの様に家にかえり
その次の日の午前、祖母は、天国へ旅立ちました。
(祖母の体が呼吸することを辞めたからとの事でした。)
家族、兄弟に囲まれ 苦しむこと無く 本当に眠っている様でした。
誤嚥性肺炎や 感染症で亡くなることだけは、避けたかったので
寝ている祖母の顔を見てやっと楽になれるんやね。と思いました。

81歳での クロイツフェルト・ヤコブ病の発症は、
ごく稀だと言われ、他の患者様よりも ひとつひとつの進行が
とても早い。と言われていたため もっと早く
会えなくなるかも。と思っていましたが 4ヶ月の闘病を
頑張ってくれました。
4ヶ月と聞くとあっという間なような感じですが
体感では、1年くらい頑張ってくれた感じがします。
約 6ヶ月経った今でも祖母を思い出さない日は、ありません。
事ある事に ばあちゃんなら~って話をしています。笑
ヤコブ病がなければ。と感じる日もあります。
100万人に1人という病気が祖母に襲いかかった事が悔しく
ヤコブ病が憎いです。一日でもはやく 治る病気へ変わることを
ヤコブ病で家族を失った1人として心より願っています。
そして、もっともっと ヤコブ病の闘病の本などが
出てくれることを願っています。

長々と、失礼いたしました。
こちらのサイトで ベット差額代の 資料を
私たち家族も 病院へ提出して 差額代を取られませんでした。
このサイトは、心の支えでした。
ありがとうございました。
 

浜田様

 投稿者:相談員 黒田真一  投稿日:2020年 6月29日(月)12時38分18秒
  大変遅くなりましたが、ヤコブネットニュースをアップいたしました。
よろしくお願いいたします。
 

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